つれづれな思いー 認知科学と登山観

 
兼好法師の「つれづれなるままに・・・」の言葉が浮かび、30年前から書き留めていた思いを、いくつか公開して行きます。
カテゴリーは「つれづれな思い」です。
 
NHKの視点・論点(認知科学)を見る。
3つに折った折り紙を出し、この2/3を3/4にしてくださいと言う。
たいていの人は、2/3の部分を4つに折ろうとする。
私も見たときは、3つに折られた2/3の部分にとらわれてしまう。
そして、計算すれば全体の半分であることは後で気付き簡単に出来ることが解るという。
しかし中には、2/3の部分に定規を当て線を引き計算によって面積を割り出し、見た目では全体の半分に見えない形に作る人もあると言う。
どれも正解であるが、どれがその時の状況に当てはめれば、より良いものなのか、そこには計算できないものがある。
それがこれから求められる科学的思考である、とでも言っていた。
 
私は登山においても同じことがいえるのではないかと思う。
地図・写真上で見た場合の判断。
直接、遠くから見た判断。
そして実際に現場に行き、そこで感じた判断。
ある程度は地図上で計算できる。次に写真などで山の概観を掴む。最後に経験に基づいた現場で感じた判断である。
 
科学的思考に大切なのは、観察であるといわれている。
観察によって得られたデーターが多ければ多いほど真理に近づき、計算出来る基となる。
現場を数多くこなしている科学者は、直観力が強く思い込みも強い。
いわゆる天才型である。
 
ヒマラヤ登山も科学的思考が求められる。
ヒマラヤ登山では正確な地図もなく、写真でも山の大きさを掴めない。
日本の山と比べ体積が桁外れである。
小さな枝尾根が北アルプスの稜線と同じだと思えばよい。
山の中でルート工作をしていると、自分がどの辺まで来ているのか判らなくなる。
こんな時、役に立つのは経験である。
いまでこそ計算できるのは、数多くのヒマラヤ登山を経験してきたからである。
 
つまり、今までも、これからも大事なことは、定規を当て計算だけで求めようとするのではなく、数多く現場に行き直接感じる感性を磨くことである。
 
1999年6月9日の日記より
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つれづれな思いー 認知科学と登山観 への2件のフィードバック

  1. ミンタカ より:

    こんばんは、山旅人さん。(^o^)
     
    本当に、そうですね。「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、自分の「目」で確かめなければ、「実体」を把握することはできません。「認知」については「量子力学」の基本にもなっています。
     
    「認識」することが、大事なのです。
     
    ああ、本当に、盛岡へ行きたいです。岩手出身の青年を主人公にした小説を執筆していながら、私は、まだ、「盛岡」を「認知」していないのですから。
     
    数々のWebを渡り歩いて、岩手が「本当に、美しい」ことは実感しています。そして、その「実感」が正しいことを、私自身、いつの日か盛岡や雫石に出向いて「証明」したいと思っています。
     
    これからも、どこまでもどこまでも「直観力」を磨いていきます!p(^^)q
     
    それでは、また。(^o^)/

  2. 山旅人 より:

    >ミンタカさんへ
    ありがとうございます。
    郷里をほめられるとうれしいです。
    小説が出来ましたなら、ご一報下さい。
    それから、直感でなく直観なんですね。
    早速、訂正させていただきました。
    ありがとうございます。

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