つれづれな思いーダッカ空港にて(2005/6/2)

 

午後5時、ダッカ空港に着く。

 

トランジットカウンターで手続きをし、すぐそばのファーストフードでビールと野菜入り揚げパンを頂く。店の人が積極的にセールスする姿を見て、10年前に比べ変化の大きさに驚く。空港が新しくなっただけでなく、人々も大きく変わっている。接点としての空港は、主義主張を伴う民族性、集団的共時性を排除して、様々な(多様な)民族性を受け入れて利用する人たちの共通性のみをシステム化してゆく。交流の原点がここにあった。

 

自国の考えを押し付けることなく、必要とする接点の中から生まれる共通性を交流の基本として点から線、線から面と広がってゆく。この自然の変化が争いの少ない融合を作ってゆくと考えられる。

 

しかし変化の早い現在の貨幣経済の動きは、科学的に見ると大きな熱エネルギーを伴った反応のようである。エネルギーの法則に当てはめると、片寄った大きなエネルギーは、もう一方の側には極めて小さなエネルギーしか残らない。つまり急激に大きな変化を求めた結果、資本の一部分が崩れ都市に集中し始める。そして残った僅かな資本を、大部分を占める世界で分け合わなければならない、ということである。

 

我々の現世界は素粒子のように不確定な世界でなく、時間、空間、運動など全てが相対的に存在している。片寄った状況は必ず崩れてゆく。その動きが突然生じるか、少しずつ崩れてゆくか分からないが、今の世界を見ると早すぎる。

 

人間が作り出した貨幣経済は、人間社会だけでなく地球に生きる全ての生き物まで取り込んでしまった。我々はほんとうに神の子なのだろうか?自然の理から生まれた生き物なのだろうか?

 

現世界の人間社会は自然の理を無視している。この状況を黙認するならば、我々は神の子ではない。「神」は、人間達が作り出した言葉の綾なのではないだろうか。自然の理を無視した人間達には「神」という言葉は要らない。「神」という言葉は、自然の理を理解し努力して生きている人々だけが唱えることが出来る。科学も宗教も自然の理を敬う心がなければ存在の意味を失う。そして混沌の世界をさ迷う。私には、そう見える。そう感じる。

 

この空港の中での変化が小さな点のように思えたが、今、こうして変化する私自身の思考を見て「存在と時間」を思い出す。つまり自ら存在を表明した時、既に存在していたのである。点と思えた変化は、すでに変化が終わり、その変化の一部が見えただけなのだ。

 

このままでは現世界は消滅してしまう。別な点を見つけよう。新たな変化が起こっていると信じて、すべての現象を注意深く観察しよう。

 

今、このように考えたことじたいが変化の兆しである。私の思考の変化の元である現象があるはずだ。見つけなければならない。私のような人が何人かいれば思考は必ず現象になる。

 

自然の理を忘れずに思考し行動しよう。そして未来の子供達につなげよう。

 

ダッカ空港ZIAにて 2005年6月2日 PM7:15 記

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つれづれな思いーダッカ空港にて(2005/6/2) への2件のフィードバック

  1. 洋子 より:

    「バカの壁」を著した養老猛さんの言葉で
    自分が変われば世界が変わる
    というのが印象的でした。
    ひとりひとりの意識で世界はいかようにも変わっていくのでしょうね。

  2. 山旅人 より:

    >洋子さんへ
    そう思います。
    点であったものが線となり面となってゆくと思います。
    こんなコメントを書けるのも、MSNのブログのおかげですね。
    きっと私が探し求めている点が生まれたのかもしれません。

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