つれづれな思いーゴサインクンドの叫び(2000年5月の日記から)

 

ネパール・ヒマラヤにある108つの湖が点在するというヒンドゥ教の聖地ゴサインクンドを回り、首都カトマンドゥに戻るためにバスの始発地であるシャブルベンシに泊まったときの事である。

 

ロッヂで休んでいると、ガイドから一人旅の日本人が隣のロッヂで行方不明になったと話してきた。さらにアメリカ人のミッシングポスターを見ながら、ポリスたちの話によると、ガイドなしで来る旅行者は狙われている。彼らは殺されてしまったのだろうと言った。

 

それを聞いて、数年前にアンナプルナエリアのチョムロン村で行方不明になった一人旅の日本人女性の事件を思い出した。その女性はガイド料金のことで言い争いになりガイドと別れてしまい、一人で旅を続けていたときにチョムロン村で行方がわからなくなったのである。おそらく持っていた金目の物は取られてしまい殺されてしまったものと思われる。

 

なぜなら、彼女のものと思われる装飾品を村人が身に着けているという噂が広まっていたからだ。

そんなことを思い出しながら眠ったせいか、次の日の朝『私が何をしたというのだ!』という声が聞こえてきた。

 

怒り

 

私が何をしたというのだ

 

あなたが持っているものを見せて欲しいと思っただけさ

 

あなただけが良い思いをして見せびらかさないでおくれ

 

あなたは沢山持っているのだから一つくらい良いではないか

 

私の妻が、私の子供が欲しがっているじゃないか

 

私はちょっと見たかっただけなのに何をそんなに怒るのだ

 

私はこの家の主だ

 

私のプライドを傷つけたお前をゆるさない

 

神様もゆるしてくれるだろう

 

こうしてくれる!

 

お前は我々の敵だ!

 

 

喜び

 

私はうれしい

 

妻があんなに喜んでいる

 

子供もこんなに喜んでいる

 

我々の神は何て慈悲深いのだろう

 

こんな私をゆるしてくれる

 

これらは神様からの授かりものだ

 

みんなに話してあげよう

 

私たちだけが良い思いをしてはだめだ

 

私たちだけが良い思いをすれば、私たちが殺される

 

 

嘆き

 

ああ、なんということだ

 

妻が、子供が私を責める

 

あれが欲しい、これが欲しい、次は・・・

 

もういいではないか

 

そんなに欲しがってはだめだ

 

私は疲れた

 

もう無理だ

 

どうしたというのだ

 

どうして私を避ける

 

ああ、妻が去ってゆく、子供も行ってしまった

 

なぜなんだ

 

なぜこんなことになってしまったんだ

 

私が何か悪いことをしたというのか

 

神よ、あなたは慈悲深いはずだ

 

私に救いの手をさしのべてくれ

 

私を見捨てないでくれ!

 

 

私たちの社会は自ら作り出したシステムに翻弄され苦しんでいる。貨幣社会は封建社会から自由社会へと導いたが、ほんらい求めていた平等社会は、いまだにほど遠い。

 

マネーによる社会システムは新たな体制を作り出してしまい、人間の自由を損なってしまった。そして、後進国といわれる国々は物に溢れる私たちの世界を見て、憧れ、それが幸せの世界と夢みている。

 

どんなにすぐれた社会体制を作り出しても、そこに住む人間たちが自らの欲望を抑えなければ何の意味もない。先進国のもの社会のツケが世界の至る所に出てきている。

 

このままでいいのだろうか。未来を担う子供たちに伝えられる事は、尽きることのない人間たちの振る舞いの結末だけなのだろうか。何を伝えていったら良いのだろうかと考えてしまう。

 

私は、子供たちが自然に触れて自分たちの住む世界のことをよく考えるようになって欲しいと思っている。物にあふれる世界の中で、何が大切なのかを考えて欲しいと思っている。

 

そのために、自らの足で歩きそこで感じたことを子供たちに伝えながら、共に考え、共に歩く理想の社会を夢見てきた。

 

本当にこれで良いのだろうか、ここで感じたことは物に憑かれた悲惨な結末であった。

 

伝えることを失ってしまい理想だけが空回りしている、私であった。

 

2000年5月 ネパール、シャベル・ベンシにて記

 

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つれづれな思いーゴサインクンドの叫び(2000年5月の日記から) への6件のフィードバック

  1. ミンタカ より:

    この世に「カネ」というのが生まれて、人間は「おかしく」なりました。(もっと的確な言葉を使いたいのですが、いつのまにか「放送禁止用語」とかいうものになりました)アメリカ合衆国のGDPの3倍を超える「カネ」が「グローバル」に「巡り巡っている」だと?ふざけるなっ!「お金」が、本来、どれだけ「大事」なもので、どれだけ、多くの人々を「救う」ことができるものなのかを、わかっているのかっ! 本当に、怒りが収まらない私ですが、やはり、宮沢賢治の詩の一部が、私の「心」へと訴えかけてきます。 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズヨクミキキシワカリソシテワスレズ‥‥‥ 以上です。「感情的」になってしまい、誠に、申し訳ありませんでした。m(_ _)m

  2. 洋子 より:

    知ることにより、より豊かになり理解し幸せになれる場合もあれば、
    反対に、知ってしまったことにより黒い面が牙をむくような事態に
    なったりする場合もあるのが現実の世の中ですね。
    踏み込まなければ保たれていたであろう環境の中へ自分の足跡を
    つけたがるというのも人間の性なんでしょうか。
    知れば知るほど知りたがる生き物なんでしょうね。
     
     

  3. 山旅人 より:

    >ミンタカさんへ
    私も、このときは怒りの矛先を見失っていました。
    結局は自分にあるのですが、それに気付かず落ち込んでしまいました。
    世界の全ての事象は、それが見えたときから自分の心の中に存在する、と受け入れた時に怒りは治まりました。
     

  4. 山旅人 より:

    >洋子さんへ
    そう思います。
    その上で乗り越えなくては・・・。
    と思います。
     

  5. mako より:

    (*^・ェ・)ノ こんにちわ♪
    フォトへコメントと思いましたが、書きなれないと失敗が^^;;(あの場所は^^;)
    初夏の高下岳ですか、私も登山口から登らせて頂いて^^;
    途中、可愛い花ばなや小さな木の芽、逞しい木々
    頂上からはまだ残雪が途中、町を望み
    木々の中を歩くのはいいですねぇ^^
    ラストの「ただいま!」が^^
    爽やかな写真でした  アリガトォ~★
     

  6. 山旅人 より:

    >macoさんへ
    こちらこそ、ありがとうございます。

    緑の光に包まれた森は、蝦夷春ゼミと餌を待つ雛たちの大合唱で、とても騒がしかったです。
    声をお聞かせできないのが残念です。
     

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