山の学校、アンソロジー 2007年編 

2007年編
2007/06/17

 

朝の光

 

朝の光が森の中に入り込む

樹木を照らし、森の中に光のシンフォニーが広がる

森の虫たちは光に誘われ飛び回る

鳥の囀りが始まる

夜明けのシンフォニーが光と共にやってくる

 

エゾハルゼミが鳴きはじめる

静寂が破られる

 

瀬の音が聞こえる

小鳥のつぶやきも聞こえる

雛が泣いている

森の住人達の音が聞こえる

共生の森である

 

すべてが美しいと思う

ここに存在していることの不思議

ここに居られる幸せ・・・

 

森の中で 

 

森の中で鮮やかな光を出すもの・・・

弾力があり繊細な肌触り・・・

起毛の絨毯のように暖かい

 

朽ちた樹木と無機質な石は、彼らによって森に溶け込み一体となる

 

すべてが必要として存在している

自然のふるまいには何一つ不必要なものはない

 

森の中に、身体を預ける

 

私も、彼らと一つになる

 

散歩のつもりが時を忘れて歩いてしまう。

川を渡渉して高畑登山口の林道から、そのまま県道に出てしまう。

生活道を歩きながら、人の声を聞き、車の音を聞き、田畑を見ながら銀河高原に戻る。

学校に着いたのは、ちょうど午後12時。

4時間半の散歩になってしまう。

 

今日は、詩人の気分である。

あなたも、銀河高原で詩人になりませんか?

 

お出で下さい。

お待ちしています。

 

2007/07/08

 

久し振りに近くの森を歩く。

 

ユビソヤナギを見に森の中に入る。

何かに惹かれるように奥の方に行ってしまう。

森の中で、連鎖の掟を詠う

 

浮遊する魂のように

 

僕は、さ迷う

 

ここはどこだろう

 

僕はどこに居るのだろう

 

確かな在り処を求め

 

さ迷う

 

私の魂

 

 

一本の古木に魅入られる

古木に幾つもの命が取り付いていた。

 

誰かが私を諭す。

 

彼は終わりの時まで役目を果たす

 

朽ちて無にかえるまで

 

連鎖の掟を守る

 

彼に群がるものたちは

 

むさぼるものたちではない

 

定めのものたちなのだ

 

彼らは連鎖の鎖なのだ

 

 

森に佇み樹木を見上げる。

彼の声は私の魂の声だった。

私も連鎖の掟に従おう。

新たな命のために、未来の子供達のために連鎖の鎖として役目を果たそう・・・。

 

樹幹が明るくなった。

 

森を抜け出し空を見上げる。

 

深呼吸をすると気持ちがいい!

 

森の精気が私に生きる力をくれた。

 

今日も、また一つ大切な事を教えられる。

 

あなたも、命の森で魂の声を聞いてみませんか

 

2007/09/30

 

先週までの夏のような暑さが消えてしまった。

この様子だと、山の上に雪が降ってもおかしくないと思う。

今日はフリースを着て、久しぶりに森の中を通り大荒沢川の上流まで散歩してきた。

 

秋の気配がする・・・

森の樹木は、まだ色づいていない

季節の変わり目なのか、くすんで見えた

あと数日で色づいてくるだろう

 

なんとなく森が静かだ

川の音だけが良く聞こえる

風がないせいだろうか?

なぜかさびしく感じる

 

そうか!

 

いつも聞こえる鳥の声が聞こえない

カエルの声も聞こえない

生き物たちの音が、ざわめきが聞こえないのだ

 

そのせいなのか、心が沈んでゆく

すべての命に終わりが来るように・・・

暗く沈んでゆく

 

すると・・・

森の中から聞こえてくる

 

「もうじき冷たい風が吹く」

 

「するどく、かんだかい風の音がやってくる」

 

「私達は、ただ待つだけ」

「逃げることは出来ない」

 

「いつものように身を預けるだけ」

 

「辛いが悲しくはない」

 

「すべてが定め」

 

「すべてを受け入れる」

 

「私達は、そうしてきた」

 

「喜びも悲しみも、すべてその中で巡っている」

 

「それが解っているから」

 

「それが世界だから」

 

「すべてが定めだから」 

 

森の中には、私を諭してくれる私が居るようだ。

 

森の精霊たちは、もう一人の私を導き出してくれた。

 

 

2007/11/17

晩秋の銀河の森を歩いてきました。

 

今回は、宮沢賢治氏が儀府成一氏に宛てた手紙の中の言葉を考えながら歩いていました。

すると、賢治の心が私の中に入って来たかのように、小さな呟きが声となり語りかけてきました。

晩秋の森の中で賢治の心を思う

 

森の中で

散りゆくものの姿を見る

 

なぜかせつない

このひと時が・・・

 

私はこの森の甦りを知っている

やがて来る静寂のあとに

寒気に耐えながら

甦りを待つ彼らを知っている

 

私は悲しいのではない

過ぎ行く季節の幾ばくかを考えると

なぜかせつないのだ

 

私が、この世界に生まれ

この季節を感じ

やがて来る静寂の時を深く考えたとき

 

なぜかせつなかった

 

私は命の連鎖を伝えたかった

あなたに

未来の私に

永遠の連鎖を伝えたかった

 

喘ぎと

焦りと

戸惑い

 

全てがむなしい

 

賞賛も

名声も

すべて、つかの間の快楽でしかない

 

残念でならない

 

ほんとうの美しさが欲しい

 

ほんとうの美しさを描いて欲しい

 

 

この森を歩くと、心が私に問いかける

これでいいのか

このままでいいのかと・・・

 

私は私の心と向き合う

すると、呟きが声となり言葉となってくる

そして、一つの詩が生まれる

この森は、私の心を解き放つ

私の心に確かな言葉を伝えてくれる

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山の学校での詩は、2008年3月31日で途切れてしまう。

この後、6月14日に大きな地震に見舞われる。

ホテルのお客さんが激減する。

私たちのイベントも中止となる。

10月、シャトルバス運行中止・日中の温泉入浴中止となる。

元々、ぎりぎりでやっていたので、ホテル側の10月の業務変更は痛手となった

主催していた友人は、気仙沼市で山の店とカレーハウスをやることになった。

私は、また旅行会社のガイドをすることに決めた。

子ども達に、この国の豊かな自然を体験させようと夢を見たのも、つかの間であった。

いつかまた、その日を夢見て、山旅を続けてゆこうと思う。

山の学校を終えるにあたって、コメントからの言葉を引用して後書とします。

 

岩と氷のヒマラヤの世界に比べると、大気に厚みがあります。

ヒマラヤは見た目にはきれいですが、大気は乾燥して希薄です。

そして、単調で、むなしく切ないです。

日本の山は、四季があり変化に富んで美しいです。

何よりも、生き物達に溢れて豊かです。

ここにいるだけで、幸せを感じます。

 

  

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山の学校、アンソロジー 2007年編  への2件のフィードバック

  1. 洋子 より:

    山の学校が閉鎖になるのですか・・・アルバムを拝見しましたが写真の中の学校の様子がとても素敵なだけに残念な気がします。植物たちや山の表情も生き生きとして素晴らしいですね。光と空気が街の方とはまったく違うのがわかります。ここに詰まっているもの全てが山旅人さんの魂にもいっぱいに詰まっているのでしょうね。

  2. 山旅人 より:

    洋子さんへ10月に無料シャトルバスが中止となったため、盛岡からの日帰り入浴が激減したためです。お客さんが激減したので採算が取れなくなりました。イベントも企画に無理が生じ、先月、話し合って止めることになりました。ホテルの一般社員にも知らされていなかったようで、ショックでした。イーハトーブは、また捜さなければなりません。ブログは続けますので、これからもよろしくお付き合い下さい。

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