家族の絆

 このごろ、「」という言葉が目につく。

それではと、以前、山岳会の会報に掲載した「家族の絆」を掲載します。

 家族は社会の最小単位といわれる。私たちはその中で育ち沢山のことを学習してきた。

 日本の家族制度は、戦前にあった直系家族制から戦後は夫婦関係制に変わり、夫婦家族は父から長男へと永続されるものから、結婚によって生じ死亡によって消滅する一代限りの家族制となってしまった。

 従来の家族制は封建的であったため民主的な欧米の家族制を取り入れられたものと思われる。

 しかも日本の政府は、狭いウサギ小屋から脱却し豊かさを実感するためと、全ての人に一戸建て住宅を提唱してきた。それにより、古くからある『家』という風習はしだいに失われてしまい、世帯の核家族化が進められてしまった。

 今や、おじいちゃん・おばあちゃんが一緒に住んでいた家は失われてきており、『家』という制度の良いところも失われようとしている。

 現在の日本社会は、物に溢れて豊かになったため、お金さえあればだれにも頼ることなく生きてゆけるようになった。若い世代も老いた世代も自分たちの『殻』の中に閉じこもり他人はおろか家族の中でさえも互いの関わりを持とうとしなくなってきている。今や社会の最小単位である『家』は大きく変わろうとしている。

 生まれてきた赤ん坊が、人と人とのつながりを学ぶのは家族の中から始まる。お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃん、それに、お兄さん・お姉さん・弟・妹たちなど家族が大きければ大きいほど、より社会的形態をとる。そこに育つ子供たちは、戦いながら、助けあいながら様々なことを学び大人になってゆく。

 しかし、『家』という形態が小さくなってきている現在、そこに育つ子供たちはどうなってゆくのだろう。しかも、よき伝統であった家族の『絆』はどうなってしまうのだろう。

 私は、辺境の地を訪れるたびに、多くの家庭に老人がいることに気がつく。日本も嘗てはそうであったように、物が豊かでないときは、お互いを必要とするために、お年寄りを大切にして子供を頼りとして互いに助け合い気遣いながら生きてきたと思う。良き伝統は、そんな環境から育まれていったはずである。

 それが、物が豊かになるにつれて失われようとしている。今や世界で最も豊かな国になったといわれるが、政府は、未だに豊かさを実感できない、全ての人に1戸建て住宅という。そして、今ある大切な家を壊し、家族の『絆』さえも壊そうとしている。

 このままでよいのだろうか。良き伝統は、家族の絆はだれが守るのだろう。しかも、豊かさを得るために世界中の山と森から資源を採取し破壊し続けている。際限のない欲望は、それが豊かさだと思い描いて・・・。

 私は辺境の地に住む人々を見ながらこう考えてみた。もし、今ある家を大切にして、家族が一つの家に住むことが出来たならどうなるだろうかと。

 おじいちゃん・おばあちゃんを大切にしている家族と共に住む家庭に育つ子供たちは、家族の中で愛情を知り、社会の仕組みを知り、人として育ってゆくのではないだろうか。そしてさらに、助け合いながら共に生きることを知り、利己的になりがちな人間の欲望から守られて、ほんとうの豊かさを実感できる人間に育ってゆくのではないだろうか。

 そう、大切な家族の絆を守り、共に暮らしてゆくことが出来たなら、社会の世界全体の絆を守ることになるのではないかと考える。

1996年2月記

 

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