護美のこと

  先日の新聞に、塵のことを「護美」と書いているゴミ箱を見かけるようになったという記事が載っていました。
 そこで今回も、以前、山岳会の会報に掲載したエッセイ、「護美のこと」をブログで紹介します。

護美のこと

ゴミのことで、講演会で質問されたことを思い出す。

 「あなた方は、遠征隊で使ったものはどうしましたか?使用したロープは回収しなかったのですか?」

 私は「持って帰れるものは、できるだけ持って帰り残ったものは燃やして氷河の中に埋めてきました。ロープについては他の隊も利用しており回収は考えなかった。私たちが最後であっても回収は不可能です」と答えた。

 

 ゴミとは何だろう。環境を守るとは何だろう。

 

 日本の山々では、奥地まで道路を作り、山小屋を作り、ゴミや排泄物を1ヶ所に集めてどこかに持って行く。沢山の人達は整備された道路と山小屋を利用し自然と触れ合う。

 ヒマラヤの山々も、そうなってきている。沢山のトレッカーのためのロッヂが出来て、トイレも常設されるようになった。訪れる人は数万人単位である。そこに住む人達にとっては良い現金収入源の場となり、地域の活性化となっている。

 しかし、私たちの登山はこのようにはゆかない。人里離れた地域でテントを張り、1ヶ月以上滞在し登山活動しなければならない。

 一般化された地域と違い、年に5~10隊程度しか入らない。人数は多くても200人位である。ゴミの処理は私たちで行い、できるだけ持ち帰るようにしている。しかし、それでも残ってしまう。特に排泄物についてはどうしようもない。

 私たちのしていることは環境破壊なのだろうか。私たちの行為は冒険的行為と言ってみても、理解してもらえない。止めれば簡単である。悩む必要はない。しかし、止めることは出来ない。

 

 道が出来て山小屋が出来て沢山の人間が入り込めるような山登りは、環境保全を考えると納得出来ない。

 生き物たちの生態系を考えると、先進国といわれる人達は、自分たちに都合のいいように開発してきている。自分たちに不便であれば『だれもが自然と触れ合うために』という名目で開発してしまう。

 見た目に汚いものは覆い隠してしまい、不必要なものはゴミとして限りなく放出する。

 人間側の見た目できれいであれば良とし、汚く見えれば悪としている。見る人間の価値基準で変わってゆく。見る人間の地域差によっても変わってくる。

 しかし、そこに住む命は与えられた環境の中で生きている。人間の価値基準によって生かされているのではない。全ての生命は、様々な生態系に影響されながら共に生きている。

 

 私たちは何をすべきだろう。『知恵』ある人間は何をすべきだろう。

ギブソンの唱えたアフォーダンス論は大量消費社会の行過ぎたアメリカの産物であるが、古来の日本人が大切にしてきた自然を崇拝する考え方と同じである。それに、ヒマラヤなどの奥地に住む人々の生き方に通じるものがある。

ギブソンが示唆するように、我々の行為が適切であるかどうかは、人間も含めた環境全体を考えて判断すべきである。

 

世界中で行われている戦争、豊かさを求める開発。物質的豊かさのみを追求して、見た目の清潔さ快適さにとらわれて他の命を脅かしている。

破壊される森と大地。やがて私たち自身に、そのつけが回ってきて社会問題となり、環境保全、ゴミの処理と騒がれている。それも、人間たちに都合のいいように。そして、その中で私たちの登山も批判される。

(チリ・バルパライソの塵処理場付近 )

私たちの登山は、登るために半永久的な道を作ったり山小屋を望んだりしない。与えられた最小限の行為によって登らせてもらっている。

そして、人間の中にある他の生物とは違う欲求を得るために、争うことなく他を破壊することなく、未知への探究心と私自身の可能性を追求するために登らせていただいている。

都合の良い理屈になってしまうが、止めることはできない。

 

その上で考えたい。美しさを護るにはどうしたら良いのか、地球という大きな生命体を守るにはどうしたら良いのかを考えたい。

1994年12月記

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護美のこと への4件のフィードバック

  1. 静♪ より:

    自然界を守るために人としてやらねばならないこと、守るべき事ありますね。自然の中で生かしてもらっているわけですから(^^ゞキレイな自然は私たちに多大なる恩恵をくれますしね!

  2. 洋子 より:

    屋久島も世界遺産に登録されてたくさんの人たちが訪れるようになってから森の環境が変化してきているとか。守っていくための世界遺産登録であったはずが、それをきっかけに・・・難しいですね。人というのは未知のものの存在を知ると足を踏み入れずにはいられない動物のようです。

  3. 山旅人 より:

    静さんへそうですね。人としてやるべきことがあります。ギブソンのアフォーダンス論の言葉の原義(afford)が、「~が与える」と言われます。つまり、「自然が与えてくれる環境の中で生かされている」ことを念頭において物事を進めなければ自分達が行った行為の後に受ける環境の変化は「私たちにとって負の行為を引き出してしまうことになる」と警告しています。では、どうすればいいのか?一人ひとりが、身近な所から、出来る事から始めましょう。

  4. 山旅人 より:

    洋子さんへそのとおりだと思います。経済優先社会の中では難しいですね。ある程度、保護のために規制しなければ、守るべきものも学ぶべきものも失ってしまいます。そのためには、そこに住む人達が気がつかなければ、保護することが難しいです。最初に、地元の人達が自然遺産の価値を理解しなければ、守ることは難しいです。そのために、地道な活動を続けています。いつか、気がついてくれることを祈って続けています。

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