望見

多くを望みすぎたのだろうか?

盛岡の街並みを望みながら考えていた。

晩秋の盛岡は、光に色がある。

太陽の傾きが、色づいた樹木にちょうど良い。

正午の陽射しが、銀杏や楓の葉を際立たせる。

 

風が出てきた!

唐松が揺れている。

小さな光の粒が輝きながら流れて行く

きれいだ!

この一瞬だけは私のもの

急いでカメラを構える

私だけが・・・と

もう何も見えない

夢のようだった

ほんの数秒

私は私自身でいた

「そうだよ!」

もうひとりの私が出てきた

「シベリアの旅を思い出して」

「今日、今、この瞬間を大切にしよう」

「僕は何も望んでいない」

「その時々に、思い、考え、行動しただけ」

「過ぎてしまったことを後悔してはダメ」

「経験したことは、受け止め、理解しよう」

「光を感じ」

「風を感じ」

「小さな光の粒が目に映り」

「輝きながら流れた一瞬は」

「あなたの望んだことではない」

「全てが同じ」

「あなたの、その感性が捕らえた」

「あなたの生き方が」

「あなたに与えてくれた」

「あなたは何も望んではいない」

ありがとう!

だれに感謝しているのだろう?

私自身に?

満たされた気持ちが私を呼び起こしてくれる

このひと時がなんともいえない

全てが同じ

私は何も望んでいない

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カテゴリー: つれづれな思い パーマリンク

望見 への2件のフィードバック

  1. 洋子 より:

    銀杏の黄色も輝くようで美しですが
    楓の赤の美しさに目を奪われました。
    この世界は美しいものだ、と思わせてくれる面も
    ありますよね、自然は。厳しいばかりでは無く。

    • 山旅人 より:

      私も、そう思います。
      その時の心の持ち方で見方が変わります。
      エスペランサでも書きましたが、絶望的な状況の中で美しさを感じました。
      宮沢賢治氏が儀府成一氏に宛てた手紙の中の言葉にあるように
      「全くさびしくてたまらず、美しいものが欲しくてたまらず・・・」
      と思える人でありたいです。
      最後のその瞬間は、宮沢賢治のように、あの時のような心でいたいです。

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